徳川綱吉は、暴君?名君?
今日は、江戸時代に日本を近代国家に近づけた名君のお話を少し・・・
今の日本では、生まれた家庭、家柄や、貧富の差によってその後の人生が決まることはありませんよね。
どんな家庭に生まれても、その後の学力や努力次第で出世や成功することが自由にできる時代です。
しかし今から300~400年前の日本は、家柄による序列や名門大名家出身の者だけがある一定の職業に就くことができるという時代でした。
それを今の時代のように実力次第で出世できる世の中に変えた人物が歴史上に存在するのです。
その人物とは・・・
天下の悪法と評判の悪い、人間の命だけでなく、ノミや虫、動物の命も大切にする生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)を制定した三代将軍、徳川家光の四男、徳川綱吉(とくがわ つなよし)[正保3(1646)~宝永6(1709)年] です。
徳川綱吉は、暴君?名君?
自分の側近で実権を握る、実質上ナンバー2の座を、家柄にこだわらず実力で選ぶことができる側用人のシステムを確立した人物です。
綱吉の父親である家光までの時代は武断(ぶだん)政治とよばれ、武力が強い者が勝ち武力をもって政治を行うという時代でした。
その後、家光の長男(綱吉の兄)にあたる徳川家綱の時代は、文化や教育に重点を置く、文治(ぶんち)政治へと変化していくのです。
そして強い者が弱い者に何をしてもよいというこれまでの価値観を、庶民のレベルまで大きく転換させたのは実力主義を重んじ、あの側用人システムを導入した5代将軍、徳川綱吉だったのです。
たった一代で、強ければいいという武士の価値観を学問で身を立てるという価値観に大きく変換させたのでした。
綱吉の時代以降、日本人は学問を尊重するようになり庶民は寺子屋に足繁く通うようになりました。そしてその価値観は、現代まで続いているのです。
私達の価値観の裏には様々な歴史と、名君の存在が隠されているのですね。
では今日も、いい1日になりますように!
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