食べてみたい!一流フレンチシェフが作る病院食
皆さんも一度は食べたことがあると思われる「病院食」ですがこれってあまり美味しいイメージはありませんよね?
でも、都心の一等地のフレンチレストランで一流のオーナーシェフだった方が病院食を作っているとしたら患者さんはもちろん私達も、楽しみになりますよね。
そんな華やかなフレンチレストランの厨房から介護や療養の食を支える地道な現場へと働きの場所を変えたのは、かつてマスコミの注目を浴びていた、フレンチシェル、フードコンサルタントの多田鐸介さんです。
食べてみたい!一流フレンチシェフが作る病院食
現在、病院食・介護食のフードディレクターを務め全国100ヶ所以上で、食事改善の指導に当たり調理機器会社の顧問、地方の食材を生かしたメニューの開発名産品のレシピを提案しています。
でも、なぜ華やかな厨房から、病院食の厨房へと移ることになったのでしょうか?
そのきっかけをお話しましょう。
多田さんは、厨房機器を導入してくれた大病院に月に2回、使い方やメニューの指導に出向いていたと言います。
そこで出逢った管理栄養士に、ホスピスに入院している末期がん患者が食べたがっている桃を、食べさせて欲しいと依頼されたのです。
「ゼラチンを買ってきて、桃を潰して桃のゼリーを作ったんです。患者さんご本人も奥様も涙を流して喜んでくれて。自分はこんなに喜んでもらえることをしたのか、これまでこんなに感動してもらったことないなって、何か自分もうれしくなって。そのとき管理栄養士に、嚥下食を考えてみないかと勧められ、何万人もあなたの技術で救えるわよと言われたのです」
それが多田さんが介護や療養の食を支える道を選んだきっかけでした。
「病院食はどうしても栄養優先で、いかに美味しく提供できるかまでは考えられなかったんですよね。慢性期疾患などで長期入院している患者さんの場合は、病院の食事が生きる楽しみの大きな部分を占めます。噛めなくなったり嚥下障害があっても、食事を味わって楽しんでもらえるよう調理法を工夫するのです」
そんな多田さんは、6歳のころから、台所に立って家族に料理を作っていました。
「子供の頃、初めてほめられたのが料理だったんです。6歳から祖母に育てられ、遊びは祖母と一緒に料理を作ること。うどんや餃子を作り、やがて3千円を渡されて夕食のメニューを考え買い物に行き、料理を作って家族で食べる。小学6年の時にプロ用の包丁を買ってもらい、中学生のときにはかなり本格的に料理を作っていました」
多田氏が作る病院食は、フレンチレストランで出てくるような色鮮やかできれいな一皿。
6歳の頃から覚えた、誰かに作る楽しさと、食べてもらう喜びを誰かのための一皿を作ることで、今までにないエキサイティングな毎日を送っています。
入院したら、多田さんの食事を食べてみたいですよね?
本日もお読みいただき、ありがとうございました。参考になれば幸いです!
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