祖父と「永遠の0」
遅ればせながら「永遠の0」を見ました。
約2時間半のこの映画が始まって30分くらいたった当たりから涙がこみ上げ、ラストまで・・・
ずっと涙が止まりませんでした。
こんなに長い時間泣いたのは何年ぶりでしょうか?
思い出せないくらいです。
内容については触れませんが、日本人として大切なことを伝えてくれるこの映画は、ぜひ、日本の将来を担う若い人や子供にも見て欲しいですね。
宮﨑駿監督引退作品もゼロ戦の話
そういえば宮崎駿監督の引退作品「風立ちぬ」もゼロ戦の話でしたね。
宮崎監督も渾身の力を振り絞った最後の作品を通して日本人の心を後世に伝えたかったのでしょう。
私は、この映画を見ながら亡くなった祖父のことをずっと思い出していました。
生れた時にお医者さんから「この子は20まで生きられないかもしれない」と言われたほど病弱で小学校にもろくに通えなかった祖父。
戦争中に18歳で16歳の祖母と結婚して2人だけで滋賀県の大津から京都に出てきた祖父。
しかし、戦後すぐに、京都において不動産業で起業し成功した祖父。
晩年は脳梗塞で倒れて4年間の闘病生活を送っていましたが、亡くなる数か月前に最後に病院にお見舞いに行った時も「あの土地は、~~~に開発すればきっと値上がりするから頭に入れておけ」と、ベッドから仕事の指示を出していたのを今でも覚えています。
祖父のエピソードで一番印象的なのは、私が10歳の時に当時、同居していた祖父と祖母が実家の近くに家を買い、引っ越し祝いに家族全員ですき焼きを囲んでいた時のことです。
かかってきた電話に出た祖父は「よし、買った。今の家は売ってくれ」と言って電話を切りました???
そして、家族に「この家は、今、売った。近所にもっといい家を買ったのでそこに引っ越すから」
と宣言しました。
家族、一同、茫然です・・・
祖父は経営者として高いセルフ・イメージを持ち、とにかく決断の早い人でした。
父も経営者ですが、「経営で困ったときはいつも、祖父だったらどうするか?と考えて難局を乗り越えてきた」と、よく私に話してくれました。
私が、自分のミッションとして経営者や起業家、ビジネスマンを応援しているのは祖父の影響が大きいと思います。
祖父は、いつも若い経営者や起業家を応援していたようで、祖父の周りにはいつも沢山の人が集まっていました。
到底、祖父のようにはなれませんが自分のできることで
経営者や起業家、ビジネスマンの皆さんにしっかりとお役に立つことが「私が、日本のためにできることなんだ」
と、自分のミッションの遂行を改めて強く、決意した1日でした。
では今日も、いい1日に、なりますように!
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